理事長より

  • 当法人理事長・施設長 海野秀彦より

令和5年4月1日

社会福祉法人杏の郷が設立して28年目を迎え、これに連なる顕真学院は27年目、蓮華寮は12年目、明照ホールは5年目に入ります。もう数年もすると30年へと時の流れの速さを感じます。
さて、時の流れはいろいろな変化をもたらせ、福祉の考え方も人の手から機械へと便利な世の中になりましたが、人の命の在り方については重く受け止められてはいない感じが伝わってきます。なにか仏教でいう末世の終末をも感じます。
世の中が良くなるとは何でしょうか。機械文明の中で、我々は手や足を使い考えることを忘れ、便利な機械によって支配されることなのでしょうか。今の世の中を見渡すと、貧困、虐待、差別、殺人、窃盗、あげくの果てには国同士の戦争など、かえって世の中はどんどん暗闇の中に向かっているだけにしか思われません。
さて、学院の開所当時から現在まで振り返ってみますと、開所当時から10年は、まだ措置費の時代で、機械もさほど発達していない中で、人と人の繋がりにより生活が営まれ、家族の皆さんも利用者の皆さんも、若く活発な動き中で切磋琢磨しながら学院の生活を作ってきました。そしてさらに10年、法律の改正もあり、学院は生活する側もそれを支える側もバランスのとれた安定した生活が営まれるようになりました。しかし、この30年に向かっていく中では、利用者の皆さんの老齢化・機能低下が極度に進み、利用者個人の「命と向き合う」というはっきりとした指針が持たされました。その人の命に対して、その人の生き方に対して、この長い年つきの中での生活を通して得てきた生き方を考え、我々は何ができるのか、再度考え直すことを余儀なくされています。
この命に向き合う支援は、支援員自身の思い込み(推論)でその個人の在り方を決めつけるのではなく、その人個人にとって必要な支援とは何かに疑問を持ち、その解決を単なる形に当てはめることや習慣にとらわれることなく、その個人が本当に必要としているものは何かを理解し考え、それをどう表現していくかが、今、我々の目の前にある課題なのだと思います。
この課題をどう解決していくかが、今、我々に求められているのです。


令和4年4月1日

社会福祉法人 杏の郷(以下「法人」という)が設置経営する 障害者支援施設 顕真学院(以下「顕真学院」という)が25年、グループホーム 蓮華寮(以下「蓮華寮」という)が10年、多目的ホール 明照ホール(以下「明照ホール」という)が4年とそれぞれが歴史を重ねてきています。
現在、顕真学院や蓮華寮で暮らす人たちは、その多くが心身ともに急激な機能低下が進んでいる状況です。
この人々の暮らしをサポートしていく我々は、「その人がその人らしく生きる、その人自身のあるべき姿を活かす」ことを目標として日々歩んでいます。
さて、このことを念頭におき、今まで個人が持てる本質の探究やその在り方など、その個人を取り巻く状況や直接対応することにおいて支援の仕方を考えてきました。
今回、法人理事長としての立場から、顕真学院及び蓮華寮を視ますと、それぞれサポート側のつながりに差を感じるようになりました、というより顕真学院に力を入れすぎていた感があり、蓮華寮への配慮に欠けていたことに気づかされました。法人経営の在り方として、法人が設置したものについての責任は私にあり、この点においては反省をし、解決に向けて、両者のつながりの強化とお互いの協力体制を構築していくことが先決だと感じています。
こうした中でも、利用者の生活は時を待たず進んでいることもあり、早急に解決しなければならない事項でもあります。
全体を見通す中で、さらに先を見据えつつ、管理、運営をしていかなければならないと感じています。
現在サポート側となる支援活動における支援員諸氏においては、その一人ひとりが各所担当において、上述のサポート目標について自己の責任を全うしていくための努力をおしまず、利用者個人あるいは集団において、必要な部署や機関、支援員同士のつながりを大切に利用者へのサポートをしていくことで、顕真学院、蓮華寮の暮らしがよりよいものとなるよう努力していってほしいと思います。

令和3年4月1日

 顕真学院が開所してから25年、四半世紀を迎えました。
最初の出発時点では顕真学院というひっそりとこじんまりした建物の中で、入所者個人個人が自由の中で自分だけのスペースを見つけ、また一緒に暮らす仲間同士の中で、「終(つい)の住処(すみか)」として落ち着いた生活を送ってほしいと願っていました。
流れてきた歳月を振り返ると、開所当時の利用者みんなの行動力に満ちた若い力が、10年を経て20年が経るとみんな機能低下が目立ち、安定したと見るのか力がなくなったと見るか、変化は確実にやってきました。さらにこの間に、法律が変わり、一部の仲間が去り、その対策としてグループホーム蓮華寮の建設や活動の場をより良いものにしようと明照ホールが建設されました。
「人は、人との間にあって人間となる」という言葉がありました。「人との間」、一緒に生活する仲間によって自分は変わる。仲間がいることで孤独ではないのです。孤独は死よりもつらいと言います。
仏教の教えの中で、「苦しく自分の身を痛めてまで得ようとする仏道修行、この苦しい修行をしなくても、毎日が難問・難題の連続」。この毎日こそが修行ではないでしょうか。私たちは、日々の生活の中で常に問題を抱えて生きています。
さて、学院のこれからをどう考えていくべきか、社会的便利さは今までの時代に比べものにならないほど数段の発展をとげているわけですが、人的対応について逆に後進していっています。これから若い職員にバトンタッチしていく上で、この人的対応を前進させていって、この学院を利用する人たちにより良い生活を提供していただきたいと願っています。
生活というのは、決められた形の中で進むものではなく、その人にあった生活の流れがあり(ライフサイクル)、それに対応する動きが必要となります。また、その流れや動きの中で、かわるがわる人が変わるべきものでもない。個別化処遇を一定の担当者によって対応していくべきことだと考えます。そのうえで集団との関わりや、必要な部署や機関とのつながりへ発展させていくことの大切さを学習してもらいたいと思います。
「自己責任」という言葉があります。自分の判断がもたらした結果に対して負う責任という意味ですが、一人一人の支援員が、係る人たちや自分の役割をしっかり理解して、自分と向き合い、この自己責任を果たしていってください。

令和2年4月1日

顕真学院も開所から早くも四半世紀(25年)をむかえようとしています。
そして、顕真学院を含む法人施設の大きな船に古い水夫から新しい水夫が乗り込む交代の時期にきました。今や時代の波は容赦なく変化して、昔とは違った社会や生活形態、人間の心まで変えながら進んでいます。
この変化に対して、開所から目指してきたのは「人が自分らしく生きる」ことであります。この顕真学院の考え方を、人への尊厳がなくなっていく今流の情報乱立・機械優先主義の世の中で、いかに継続していくか、変化する社会の中で惑わされることなく、この考え方を貫くにはもう一度「人」の理解をすることであります。
今に至る歴史を振り返ると、人は、何度も疫病や飢饉、天災、人災といった世界を味わい、何人もの人の命が失われながらも人は生き、世代を超えて今に受け継がせる強さがありました。しかし、今の社会はこういった歴史を顧みることもなしに、ただ怯え逃げるだけのものになっています。人間の本来の強さが情報という上面な軽いものに、その中心まで揺らぎさせられている。上面な情報だけの世界に惑わされないことです。
人間には強さがある。学院で生活する人たちは、障害を有していても人間として何物にも惑わせられない、怖がることもせず動じず与えられた人生を精一杯生きている。これが彼らの姿であり、人間の姿ではないでしょうか。
人は一回だけの人生を与えられて生きているのであり、現に生きており、また、将来生きていくのであります。その一人ひとりは、絶対に他のだれの人生と比べても、同じ人生を歩むものは一人もいません。そして、「二度と繰り返すことのできない」、「他の誰にも代わってもらうことのできない」たった一度きりの命なのです。
「顕真」の意味は人間の中心にある本来の姿(真)を、はっきりと明らかにする(顕)ことであり、まさに利用者そのものであります。
我々は、この利用者たちの尊厳を守りながら、人とは何かを学ばなければならないのです。惑わされずしっかり地に足をつけて生きたいものです。


平成31年4月1日

 顕真学院は「ここで生活するひとり一人がその生涯を送る場所」であり、我々は彼らを擁護し、その生から死までを見届けていく義務があります。
学院は開所して23年という年月を経た中で、これからの利用者の生活体系について、大きな転換を図らなければならない時期にきています。
 それは、生活する利用者の高齢化と身体機能の急激な老化が顕著に見え始めたこと、また、今まで外から学院を支えていただいていたご家族の高齢化など、これらの変化が現実的に表れ、今までの仕組みでは通用しない状況に立っています。
 特にこれからは、利用者一人一人の身体機能や動作、意識、疾病等を考えるとき、個々にまったく違った変化が生じてくるため、個別対応の重要さが中心となり、支援の内容も集団的効果によって成長を考えるものから、個人を主にしたものに変えていく必然性があります。そのため、今年度よりこれから先の事業計画の内容は、この個別処遇におけるものになります。
 その個別対応として、次のことを支援者各位自身に対する動きをしていっていただきたい。支援員は偽善的(本心とは違うみせかけによる動きや対応)に彼らと向き合うのではなく本気で向き合わねばならない。利用者個々のちょっとした変化に気づけるか否か。特に当学院は個別担当制をとっており、個別にその変化を察知するため、詳細にその人の生活の動向(現況)を観察すること。そのために重要なこととして、その人に親身になって対応することが第一条件となる。そのためには先入観でその人を観察しない、人任せにして対応しないこと、そして、客観的・多面的にその人独自の個性や本質をつかんでいく、そして、その個がそれを取り巻く集団、環境の中でどのような動きをしているかを加えて出したその人ならではの個性の観察結果により、将来に向けて何を主眼に支援していくかその方向を考察する、つまり分析から始まり状況把握(行動特性をつかむ)をしたうえでその個に対する将来を考察していくことになります。

 

平成30年4月1日

 平成29年度において、以前より予定していた利用者の皆さんのための活動場所、ご家族の方たちの宿泊場所としての「明照ホール」が完成し、今年度より本格的な使用が始まります。
このホールを含め、顕真学院発足より22年を経て私のできる力の中で最後の建物であり、完成形ではないかと思っています。
さて、これからの道のりについて、私自身は利用者の生活保障に全力を傾けていきたいと思います。
現社会は、急激な文化の発達により機械化した考え方が中心となりつつあります。福祉の施策においても、ただ目の前のことをどうするかということだけに捕らわれ、将来的見通しに立てないまま事が進んでいっている状態になっています。自分が学んだ頃の福祉は、資本主義社会だけに「福祉」という言葉が存在すること、社会の中で生活することが難しい人の、その現場に入って、人の手によって問題解決の方法を探ること、人と人とのつながりあるいは信頼の中で福祉という言葉は生きるものだと学習してきました。福祉ではどの場面においても人の力が必要であり、人間の作った法律や規則には当てはまらないものが多々あります。
しかし、今は私が若かったころとはちがい、物に恵まれ、人の手を使わなくても機械がすべてやってくれる時代、考えることから離れてしまった中で育った人たちが、今度は私たちに変わり「福祉」を実践する中心になっていきます。現場に入ってそこで問題解決の方法を自分自身が考える。きちんと援助を必要とする人たちと向き合えるのか、この不確かな時代の波に惑わされて、その波に泳がされない人づくりがこれから必要なのではないかと思います。
この顕真学院においても世代交代の時期が迫ってきています。私がこの顕真学院を創設した意味を、これから受け継いでいく若い人たちに将来にわたってつないでいってもらいたい。受け継ぐことによって将来にとって大切なレガシー(遺産)としていってもらいたいと思うのです。 
そのために、これから私のやるべきことは、これから受け継いでいく若い諸君に対して、「福祉」を、顕真学院において、利用者と共に生活していく上で発生するいろいろな問題に対して決して逃げずきちんと向き合って解決していく方法を学ぶことで、若い諸君自身の自己形成と成長をしていくための手助けを私の役目として、若い諸君を通して利用者の生活保障をしていこうと思っています。

平成29年2月3日
 当法人前理事長 海野玄秀氏が平成28年9月17日、脳梗塞により89歳にて亡くなられました。前理事長は、平成7年、当法人設立から平成25年までの18年間にわたり、当法人理事長として活躍をされました。理事長当時は、法人が出発してから理事会を統括し、施設長であった私に対して、その施設運営を私の思うとおりにさせていただきました。その結果、20年という長きにわたって顕真学院の整備および蓮華寮新設と発展をしてきました。現在は前理事長の後を受け、私が理事長兼施設長として法人・施設運営をさせていただいていますが、施設開設より20年経過した現在、さらに10年先、20年先を見据えたうえでの今やらなくてはならないものへの着手を考え、すでに顕真学院の建物設備関係のすべてのメンテナンスという利用者の皆さんがより快適に生活できるための第一段階が終了し、第二段階として、利用者の日中活動の場・地域とのつながりに向けた強化策としての建物整備に着手し始めています。また、顕真学院、蓮華寮のこれからの在り方や社会の流れが時々刻々と変化する中で、この船を動かすかじ取りの世代交代に向けての準備もすでに始まりました。前理事長の亡き後、自分がその任を継いだ時、すでに自分の後をどうするのかがその役割になりました。